今日
プライベートな事務処理と片付け.
パロディ化という逃げ道
今日話題のあの番組なのだけれど,要するに,
カリオストロの続編がやりたかったんだけど,普通にやったらバッシングの嵐になることはわかりきってるから,
通常ではあり得ない要素を持ってくることである種のパロディとしての体裁を整えて,
「これはパロディだから」という逃げ道を用意しつつ,やりたいことをやってしまった.
という認識でよろしいか?
いや,途中からしか見てないんだが.
こういう逃げ道は有りだな,と思ってしまった.
例えば,解析結果をもとにバッハ曲を再構成した曲を発表したい,でもそのままでやったら「バッハの曲を汚してるだけじゃん」という批判が出るから,ケージの要素を混ぜてみました.みたいな幹事.
J.S.Bach meets John Cageってのは,どう考えてもパロディというか色物にしかならない.
だけどその中で自分の分析手法の有効性を示せれば,自分はおっけー.