[Diary/2010/February]

「1ボタン1機能の原則」と「機能=物体という思い込み」 / 2010-02-11 (木)

昨日と今日

水曜.卒業制作展の準備.
木曜.卒業制作展初日.成果物が論文のみの学生の発表.
制作物ありのプレゼンは10分だが,論文のみの学生は15分というのは,まぁバランスは悪くない.
日野キャンパスにてやってますので,お暇な方はぜひいらしてください.

「1ボタン1機能の原則」と「機能=物体という思い込み」

「電話を貸してくれというのでiPhoneを壮年の両親に渡したら,両親は電話をかけられなかった」という話を聞いた. しかし,iPhoneのインタフェースは今時のケータイよりもよっぽど「1ボタン1機能の原則」を守っているインタフェースだと思うんだがなぁ.

一つのボタンに一つの機能が割り当てられているのが70年代までの機器の特徴で,その時代の人達は80年代以降の「状況によってボタンの機能が変わる」インタフェースについていけない,とよく言われていたわけだけど,
iPhoneはボタンそのものがモードによって登場したりするわけで,「1ボタン1機能の原則」は守られている.
「クリック感」のようなものは除いて考えると,ユーザインタフェース系のセオリーから言えばiPhoneの方が老齢の人には使いやすいはずなんだ.

使えないという理由はおそらく,「電話という機器が存在する」という思い込みなんだろうな.

「遠方の相手と通話をする」というファンクションもしくは動作は実際に存在するのだけれど,「電話」という機器は実際には存在しない.
「電話」というのは,「遠方の相手と通話をする」機能を実現する,一つの仕組みやインフラに付けられた名前だから.
「新幹線」と同じだね.

んじゃ老齢の人達にどう説明すればいいか,という話.
「鬼部長が家に帰るとニコニコしながら孫にべったり」というのでどうか?
会社の人達が部長に要求する機能とインタフェース,孫がおじいちゃんに要求する機能とインタフェースは,まるっきり違うけど,一人の人がそれを実現して提供している.
ケータイのように同じボタンの機能が変わるのではなく,インタフェースそのものが実現する機能によってまるっきり変わるのだ,と.

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