[Diary/2008/September]

演奏者を魅せるための「突っ込み所」というインタラクティブ性 / 2008-09-08 (月)

今日

CACIEプログラミング.上手くいかない.なんでだ.
昼には音出し.

魅せる演奏と「突っ込み所」というインタラクティブ性

ヴィジュアル的に魅せる演奏風景というのはどういうものか,とこのところずっと考えている.
昔自分の作品でも頻繁にやってた,DIPSを使うように音と同期した映像を用意するというのも一つの手だとは思うのだが,それでは演奏者の演奏の魅力を増幅しているとはいえないと思っていた.
やはり演奏には演奏者の姿がなきゃいけない.
(それは昔から思ってたことで,自分の映像を使ったライブ作品には必ず演奏者の演奏している姿が映っているのだけれど)

ニコニコ動画の「演奏してみた」をずっと見ていて,一つの解決策の方向性が見えたような気がした.
音楽だってショウなのだから,やはりヴィジュアル的にも魅せなければならない. ただ,楽器の演奏中の演奏者がヴィジュアル的に変えることが出来るのは,衣装と動きの二つしかない. 衣装は演奏を妨げなければ割と自由になる.クラシックピアノと声楽の人達はドレスを着ている. 動きに関しても,演奏を妨げない,もしくは演奏能力を増幅させる動きならば可能である.

ただ,そのように提示された衣装や動きが奇麗なだけでは多分ダメなんじゃないだろうか.
ニコニコ動画を見ていて,奇麗に魅せるだけではない演奏を面白く魅せる有効な方法だと感じた一つの方法は「突っ込み所」を用意してやることである.
用意しておいた「突っ込み所」に対して,聴衆が心の中だけでも突っ込むことが出来ることによりインタラクティブ性が増して,演奏に対しての満足感が高まるのではないだろうか.

実の所,安藤はホールでやるクラシックのコンサートがあまり好きではない.中高時代さんざんぱらそういう大きな所でやっていたのだが,大学入ってからの専門でやるようになった非常に小さい場所でのコンサートを経験し,このような場所の方が聴衆の心理的にはいいのではないかと感じるようになった.
おまけにジャズのライブなんかの本当に小さな場所での演奏や聴く経験をしてからというもの,音楽を聴くためにはこっちの方が良いと思うようになった.
それは演奏者の演奏風景をしっかり見ることが出来,更に演奏に突っ込めるようなインタラクティブ性を(実際にあるかどうかはともかくとして)強く感じさせるからなのではないだろうか.

動きの場合は,演奏者のリズムの取り方や演奏法に強く依存するので,他人であるところの作曲者が云々と一方的に支持することはできないので,リハを繰り返せる環境でないとどうにもならないのだが,衣装は短い時間でもどうにかなりそうである.
今まで自分の曲を演奏してもらう時に「衣装どうしましょう?」と演奏者の方から訊かれた時は「何を着たいですか?」といつも質問を返していた(つまり自分では衣装を決めなかった)のだが,今度から……まぁそのうち演奏者をヴィジュアル的に魅せるためにもちゃんと「突っ込み所」などを考えた衣装まで考えるようにしようと思う.
でも,曲の主役は演奏者というのも絶対に念頭に置いておかなければならないので,相談なんだろうけど.

去年のインターカレッジでSFCの女の子がメイド服を着てセンサー楽器のパフォーマンスをやってて,その時は「色物だなぁ」と苦笑しただけだった(まぁ実際アレだったし).
けれど今考えてみると,むしろそのようなヴィジュアル面における「突っ込み所」を用意することによるインタラクティブ性が,我々のようなクラシックの中でもどマイナーな分野をやっている人間には必要であり且つ取り込みやすいのではないか.
別にメイド服を着て演奏するのはニコニコの中だけじゃなくてもいいんじゃないだろうか.

って,別に21日のステージで演奏者にメイド服着てもらうわけではありませんよ?