[Diary/2010/March]

サックスの音色と演奏表情付けの展開について考える / 2010-03-02 (火)

先週と昨日今日

先週.
月曜.火曜.曲関係.
水曜.新4年生ミーティング.研究室用家電買い出し.プログラミング.
木曜.洗足音大で,先端芸術音楽創作学会主催コンサートに出演.朝から晩まで.
金曜.ひたすら事務処理と玉川大で先端芸術音楽創作学会.
土曜.プログラミングと事務処理.
日曜.プログラミング.

昨日今日 月曜.学術情報センターでインタラクション2010.今日は出席のみ.夜はプログラミング.
火曜.インタラクションで発表.夜は六本木で学校関係の二つの展示会のオープンングパーティをはしご.

「時間ない」と言いたくないけど,やっぱり時間ない.

現代曲におけるサックスの,ソリッドな音色と的確なフレージングとその展開

diary.kuri_saxo: saxophone + live electronics, tape, synthesizer こんなリストがあったので,チェックしていて思ったこと.

サクソフォンパートは超難易度パッセージの連続。最低音を繰り返し吹きながら、目が回るような跳躍を繰り返す。

木曜のコンサートで,二重の影の対話を聴いてて思ったのが,現代曲に頻出するこの手のフレーズは,
(依頼された曲ということもあり練習時間が少ないこともあるだろうけど),
ともすればフレージングが適当になりがちで,特にテープ系というか素材をあらかじめ録音しておくタイプの曲において必要な,ソリッドな音色とは相性が悪い.
本当にどうにかならんもんかと思う.
ブーレーズの曲をきちんと,ソリッドな音色のままフレージングの展開まで考えて演奏できる人はそうそういないと思う.

自分の場合は,演奏者に非常に恵まれているというのと(宍戸陽子 宍戸陽子をよろしくおねがいいたします! Jeanette Ballandも素晴らしかったなぁ),
自分自身が演奏者出身であるということもあって,作曲の時に既にフレージングの展開が頭にあるので,割合こういう問題はおきにくいのだけれど,
「『普通』のサックス奏者の『普通』のコンサートで曲を演奏してもらう」という目標を達成するためには,「難しいフレーズで音色とフレージングが崩れる問題」を常に考慮に入れて行かなければならない.

ついでに言えば,サックスの音は奏者ごとの個性が以上に強く(これは逆に音色の変化が容易であるという意味で現代曲でのアドバンテージである),
テープというかあらかじめ素材を録音する必要のある曲の場合,演奏できない奏者が出てくる.
だから音色許容性の高い,(あらかじめ素材録音は一切しない)ライブエレクトロニクスの方がやりやすいのは確かだ.

まぁとにかく,この間のコンサートでエレキギターの曲をやったことで自分自身の音の方向性が広がったとは強く感じているので,これからもどんどんサックスの曲を書いていくつもり.
あとやっぱり,自分でもきちんと演奏できないとダメだ.