[Diary/2009/September]

オーソライズされていないものをオーソライズするのが自動作曲 / 2009-09-16 (水)

今日

プログラミング.
頭痛.

新首相って,計数の出身だったのか! ちょいと衝撃だ.
まぁ計数だからドクターで経営工学に行けたのだろうけど.
電気出身が首相になることはこの先もないだろうね.

Twitterと自動作曲

前に,Twitterはオーソライズされていないものを垂れ流すわけで,違和感を感じる,なんてことを書いたけど,アルゴリズムコンポジションの世界でも似た感じがあるのかな,なんて思った.

例えば「円周率の音楽」なんてモノがある.
それは円周率の数字をそのままディアトニックスケールに置き換えるというもので,やった本人は「それっぽく聴こえるでしょ?」なんて書いているのだけれど.
実際は,全然それっぽく聞こえないんだよね.
リズムも一定だし.
たしかに興味を持って聴けるかもしれないけど,それはあくまで創発的な要素によって生成された数列に対する興味でしかない.
音楽に対する興味ではないんだな.

なぜかといえば,そこに構造を見いだせるようなマッピングが存在しないから.

自動作曲におけるマッピングというのは,何らかのデータを音列に変換するための関数,と定義されるわけだけれど,これが存在することで,アルゴリズミックコンポジション,自動作曲,と初めて言えるわけである.
安藤の場合は,このマッピングを創発的に合成するという所がキモなんだけど,通常の場合,マッピングは作曲者が決定論的に決めるわけだ. つまり,オーソライズされていない(フラクタル図形を描くような数列がオーソライズされていると言えるかどうかは置いておいて)数列をオーソライズして出力することが,「作品創作」わけだ.

それに対してTwitterの発言自体は,あくまで創発的要素によって生成された数列であって,(アルゴリズムコンポジションにおけるマッピングである所の)これを構造化しまとめる作業があって,初めて作品創作といえるんじゃないのかな.
最低限,Twitterの発言連鎖みたいな構造を,人間が認知可能な音楽的構造に変換できるようなマッピングを作らない限り,作曲ではないよな.

なんて,どーでもいいことを考えていた.

そろそろ,Twitterの発言をあまりにもシンプルなマッピングのみで音列に変換したものを出してきそうなヤツがいたので,先手を打っておく.