[Diary/2005/February]

うにょろ / 2005-02-21 (月)

タイトル

たいてい何も思い付かない日だと,この手のタイトルになる.

記憶力がやばい

今作業してる論文の質問に対する回答で,寝る前に上手い回答を考え付いた.
…と思ったら,朝起きたら忘れていた.
どーしても思い出せない.
ダメダメすぎる.

金でも稼ぐ?

すがさまの所で,このサイトの規模が大きくて内容が充実している,とのお誉めを受けた.
ありがとうございます.
ただ正直な話,「どうなんでしょうね?」と僕は思っていますが…

ま,それはともかく,本当にそこそこの規模のサイトでそれなりにページビューがあるとするならば,
アフェリエイトなりでお金稼げるかもしれない.
僕自身はあまり好きではないのだけれど.

好きではない理由がなにかっていうと,単に自分が適当に書くこと以上の責任を持ちたくないってこと.
自分の書いたことと自分の名前に対しては責任持たなければならないわけだけど.
広告やらAAをやるとなると,僕が広告やリンクを張ってそれを勧めたことに対して責任を持たなければなりませんよね?
一見下らん記事を書いているようなフリーライターやテクニカルフリーライターだって,実際はきちんと取材をして実験をして,それで文章書いているわけです.
最近新聞の記者さんのお話を伺っていると…大変だってのがヒシヒシと伝わってきます.

つまり,文章やそれに付随するものの対価としてお金をもらう以上,書くにあたってやらなければならないことがドカンと増えるわけですよ.
広告先やAmazonのリンク先の商品をきっちりチェックして文章を書くことは,僕には時間的にも金銭的にも無理ですから.

ま,大抵の人は,例えばAmazonアソシエイトでのリンク先の購入にあたっては,買う人の自己責任である,というのをしっかりわかっているから問題はないかと思うのです.
僕はそうではない状況を恐れて二の足踏んでる臆病者ですね.

自己肯定の方法

あとアレだ.
アフェリエイトでの収入は文章には直接関係しない副次的なものではあるけれど,
例え副次的であるとは言え,この程度の文章でお金をもらいたくないっていう,ある種のナルシズムみたいなものがあるわけですよ.
文章書いてお金もらってる人達は自分よりももっと凄い人であって欲しいっていう,自己憐憫や自己肯定に繋がる,まぁ最低なナルシズムですね.

音楽と一緒.
僕は才能なくて音楽や芸術の世界から追い出された人間なのだけれど,
だから,音楽屋とか芸術家とか言ってる人間は,その分野で自分を遥かに圧倒して欲しいって思ってる.
今の専門だってそうかも.
自分が能力的に底辺でなければ許せない,周りの人は自分より凄い人なきゃ,っていう感覚だろうか.
実際に僕の能力は底辺だし周りは凄い人ばかりだから,僕は幸せいっぱいなんですが.